はじめに

孫子をこれまで発表された注釈・解釈文献などをもとに、独自の解釈を加えて投稿していきます。

独見(独自解釈)を著すに至った経緯

幾多の注釈・解釈文献が残されていますが、比べてみると底本とする原文に若干の違いがあります。
これらの相違は、書き写しの際に誤写した誤字であったり、文体の体裁を整えるためであったり、注釈をつける際の都合であったりと様々な理由が想像できます。
魏の曹操の著した「魏武帝註孫子」の原文でさえ、年月の経過から、すでに本来の原文から書き換わっている可能性も考えられます。

そもそも孫子自ら著した書物が「孫子曰く」から始まる時点で違和感があります。
例えば、存命中に著作を評価された韓非子は「臣聞く」から始まっていますし、一方で没後に弟子たちによって編纂されたという論語は「子曰く」で始まります。
時代とともに複写を経て、書が各地に広まる中で著者名を付け加えられた可能性もありますし、曹操が注釈をつける際に付け加えた可能性もあります。

また、この書が闔閭のために著したのか、すでに世に出回っていたものを改めて持参したのか、闔閭が謁見時には既に13篇を読んでいたとの記述もあり、もし闔閭のためだけのものであったのなら、どうして闔閭は自身のために著されたこの書を門外不出にしなかったのかも不思議ですが。

どちらにしても純粋な原文ではないだろうと論を結し、ならば今この時点で少しの手直しをしても良いのではないか。
そもそも手直ししたところで読んでいただいた稀有な読者の方(失礼!)から批判は出ても、どこかに影響が出る訳でもないし。

そこで既存の各注釈などを参考にして、極端に離れない程度で独自の白文~解釈を著そうと思い立ちました。

根底-考え方と文章校正-

好戦的ではないという意見に賛同しています。
そのため基本は戦わない方向にもっていく戦術として説いているのではないか。しかし守戦非戦をそのまま説いたのでは採用されにくいため、攻戦への心構えを説くとともに「相手の立場になったとき、果たして貴方はどうですか?攻め込まれる隙はないですか?」と暗に語っている気がします。

また孫武が闔閭から実際に女性部隊を指揮するように頼まれ、結果的に寵姫二人を斬首したという話がありますが、これも考え方によっては「戦をすることになると辛い目に遭う」という警鐘も担っていると考えます。

また経緯でも述べていますが、長年複写を繰り返すうちに文体に相違が生まれ、詩人としても名を馳せた曹操が手にしたのが文章体裁の整ったものだったかもしれません。あるいは本人の手により整えられたか。
過去の文献にも、本来は一文節だったであろうが体裁を整えるために二文節にしたのではないか。重複している文節があり誤って入り込んだのではないか。発音が同じなので借字もしくは誤写の可能性があるなどの指摘がなされています。それらの中で自分がしっくりくるものを採用しているため、語訳や解釈が一般的なものと違いが出てくることをあらかじめ了承願います。

基本構成

底本は銀雀山漢墓竹簡と魏武帝註孫子、補完として古文孫子を採用しています。
各ページの構成は以下を基本とします

  • 独見・・・筆者による白文と現代語訳
  • 銀雀山漢墓竹簡
  • 古文孫子・・・桜田迪校正幷訓点古文孫子正文
  • 魏武帝註孫子・・・曹操の註釈
  • 補完(赤地)・・・補完
  • 語意 注釈(青地)・・・漢字や文節に関する説明
  • コメント(灰地)・・・個人的な意見
  • 不明瞭(黄地)・・・不明瞭な点
  • 宋本十一家注・・・そのうち語訳できたらいいなwww

独見、銀雀山漢墓竹簡、古文孫子、魏武帝註孫子は白文ほか適宜記載します

  • 基本白文(黒文字)・・・白文 ※竹簡の欠落部分は灰地で記載。古文孫子または魏武帝註により補完
  • 書き下し文(緑文字)・・・書き下し文
  • 現代語訳(赤文字)・・・現代語訳 ※参考書籍により書き下し文および語訳が複数となる場合あり

参考書籍

以下の書籍などを参考にしています

  • 銀雀山漢墓竹簡
  • 孫子略解(魏武帝註孫子) 曹操注釈
  • 桜田迪校正幷訓点古文孫子正文(古文孫子)
  • 孫子兵法
  • 孫子 著:金谷治
  • 孫子 著:浅野裕一
  • 孫子兵法校解 著:服部千春
  • 孫子の体系的研究 著:佐藤堅司
  • 孫子精通 上・下巻 著:藤林保
  • 漢籍国字解全書 先哲遺著 第10巻 孫子國字解 著:荻生徂徠
  • 漢文叢書 第5冊 著:久保天随
  • 経書大講 第24巻 著:小林一郎
  • 武経七書 著:神田勝久
  • 兵法孫子 著:北村佳逸
  • 十一家注孫子
  • 孫子十三篇集解

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